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闇の帳が支配する中、公園の周りのビルの明かりと街灯が光を灯している。
桜は桃色から緑の装いへ。気温も春というよりも初夏に近くなってきたというのに、何故か今日は冬に逆戻りしたように肌寒い。
街灯にもたれながら、蛮はジッポで煙草に火をつけて頭上の月を見上げた。
「実に美しい弓張り月ですね。桜が散ってしまったのが本当に残念だ。是非桜の変わりに赤い血を月に捧げたいところですが」
クスクスと笑いながら、黒衣の殺人鬼は闇から現れる。
「お待たせしましたか。美堂クン」
「待ってたぜぇ。ジャッカル」
蛮は吸い始めたばかりの煙草を捨て、足で踏み消した。赤屍に敵意と嫌悪をたっぷりと含んだ瞳を向ける。
「クス。素敵な殺気だ。ゾクゾクしますね。ただ今日はお話のために私は呼び出された筈なのですがね。お話というのは卑弥呼さんのことで?」
「当たり前だ。てめぇどんなネタで卑弥呼を脅していやがる。」
「脅し、ですか?やれやれ随分と私も嫌われたものですねぇ」
心外です。というようにため息をついて帽子を押さえる。蛮にはその様子は惚けているようにしか見えない。
「とぼけてるんじゃねぇぞ!脅しでもなければ誰がお前なんかと!!それに卑弥呼はまだ…」
「自分の事を想っているはず、ですか?」
クスっと赤屍はいつもの笑みを浮かべる。それが酷く癇に障るが、渋々肯定する。
「…そうだ。急すぎるんだよ、お前との事は。脅しでもなければ納得できねぇ」
苛苛と蛮は拳を街灯に打ち付けた。赤屍は蛮の苛立ちに楽しそうに目を細める。
「脅しではありません。――契約、ですよ」
「契約?」
ぴくりと眉を顰める。
「どんな契約だって?」
「さてそれは言いかねます。私とレディポイズンとの契約ですから。ただし――私と戦って私に膝をつかせたら、考えてみても良いですよ」
スッとメスを出して蛮の行動を試すような色を見せる。
蛮はあからさまな挑発に乗る。
「はんっ!もう一度コンクリに寝かしてやるよ!あの時みたいにな!!」
互いに間合いを取るために飛び退る。
「さて。貴方にできますか。アスクレピオスの呪いが解けた貴方に?」
言いながら、ひゅんとメスを放つ。
「ぬかせっ!クソ屍なんか蛇の呪いなんかなくても倒せるてぇんだよ!!」
ひらりとメスを交わしながら、赤屍に向かって突進する。
「赤い雨」
無数のメスが蛮の急所めがけて降り注ぐ。蛮は舌打ちしながらも、すべてのメスを読みきって交わして走りぬけた。
拳が赤屍の顔面に打ち込まれそうになるが、余裕の笑みで赤屍は上体を逸らす。
蛮はすかさず蹴りを側頭部に入れようとするが、赤屍はその足ごと切り落とそうとメスをふるう。させじと、蛮は咄嗟に蹴りをやめて、そのメスを持つ手をぱしりと掴み握りこむ。
骨の砕ける音がした。
だが赤屍の表情は涼しい。蛮の瞳に映る獣のように獰猛な殺意を感じて愉快そうに笑う。
「クス。呪いの力を失っても、その天性のセンス。スピード。怪力はそのままのようですね。実に頼もしい…――ですが」
赤屍は砕かれていない方の手に真紅の剣を出現させて、大きく振り上げる。
「!」
咄嗟に赤屍の手を離し、蛮は顔面を腕でクロスさせて庇いながら後ろに跳び退った。
赤屍の振り下ろした剣の風圧で、地面が割れた。
「ですが、私にはやはり役不足な存在になってしまったようだ。とても、とても残念なことに、ね」
死神はすっと腕を伸ばす。
「赤い奔流」
膨大な量のメスが蛮を囲んで渦巻く。
繰り出された大技に再び舌打ちしながら、蛮はそのメスの囲いから逃れるために上空に飛ぶ。
「無駄ですよ」
言葉通り、上空に飛んだ蛮に向かってメスも上昇し、その鋭さで獲物を切り刻む。
上空に飛んでしまったことにより逃げ場はない、初歩的なミス。蛮は持ち前のバトルセンスで応戦するも、メスの多さに防ぐことは出来ず、その身にほとんどのメスを食らう。
真っ逆さまに落ちて行く蛮の苦痛に歪む顔を、どこか不満そうに眺めながら、赤屍は冷酷に言い放つ。
「弱くなった貴方など意味は無い。消えてしまいなさい。――赤い十字架」
死神の広げられた手のひらに、死の十字架が光る。
蛮は首筋がぞわりと冷える感覚。「ヤバイ」気配を感じとって、ある言葉をつむぐ。
十字の印が蛮の体の上を走る。しかし十字に裂けることはなかった。
「! なるほど、法術ですか。だが、その十字の刻印が刻まれたその体にこの技は防げますか?」
死神の瞳が鈍く光る。
「赤い射手矢」
あらかじめ刻まれていた十字の刻印に光が走る。
邪眼の男と裏新宿に名を馳せていた男は――
声をあげる暇も与えられず、
体を四方に引き千切られた。
ごとり。
かつてバトルの天才と呼ばれた男の頭部が足元に落ちてきた。
しばらくの間、足元のそれを無表情に見つめる。
「・・・・・・・・・・」
あっけないものだ。
これが長年待ち望んでいた好敵手との戦いとは。
冷ややかさの中に苦々しい失望を混ぜながら呟く。
「…やれやれ、本当に死んでしまったのですか。いっそ腹立たしいですよ。闘う時期を見誤ったのは私のミスですがね…。これではせっかくのレディポイズンとの契約は、破棄になってしまうでしょうね。まあ、その変わり…」
彼女には死ぬ程憎んで頂けそうですが。
落胆の色の中に不敵な笑みを混ぜて、ポケットに手を入れその場を立ち去ろうとする。しかしヌルりとしたものが手にさわりその場に立ち止まる。
――何だ、これは・・・。
それは血だった。ポケットを湿らす血液は馴染みのある返り血ではない。
見るとコートの上に縦横の線が入っていて、その下の皮膚もざっくり切られている。
「これは…!」
如如に十字の線が長さを増していく。感覚も激痛を訴え始めた。赤屍は目を見開く。
「まさか。先ほどの法術……!」
蛮は自分の死の変わりに、確実に自分を殺害する方法をとったという事か――。
敵が消えてしまい、自分を内から傷つけるものに、最強最悪の魔人も為す術が無い。
単なる物理的な攻撃ではないせいか、赤屍の驚異的な再生能力も追いつかない。
体が裂けていく痛みに呻き、膝をつく。
裂ける。胸が。喉が、
頭が。
糾号が口から溢れた。ありえないと考えつつ脳裏に己の死がよぎり、死神の瞳に一瞬、空虚な色が映った。
それはまるで行くべき場所を見失った迷い子のような――。
足元の頭蓋の口元が弓状につり上がった。
「ジャスト一分だ。」